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片平たてもの通信 第5號 |
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片平歴史物語 第三回
【伊達騒動と片平丁】 |
万治3年(1660年)7月、かねての不行跡のゆえをもって、伊達三代綱宗は徳川幕府より逼塞を命じられ、跡目は二歳の亀千代が相続することとなった。それから寛文11年(1671年)まで、実に12年間、伊達兵部(だて・ひょうぶ)派と伊達安芸(だて・あき)派に分かれての、お家騒動が続くのである。(定説では、兵部派が逆臣、安芸派が忠臣とされている)。 片平丁には伊達騒動関係の重臣邸宅が集中していた。南のほうから見ていくと、 (1)東北学院大…柴田外記(しばた・げき)邸跡(国老・登米米谷四千石・騒動当時江戸酒井邸で原田甲斐に斬られ、さらに喧嘩と間違えた酒井の家臣に斬りつけられ死亡)【安芸派】 (2)正門南寄、サークル棟付近…伊達式部邸跡(二代藩主忠宗の六男・登米二万石・伊達兵部に毒殺されたという説がある)【安芸派】 (3)片平市民センター…伊達藩牢獄跡(忠臣伊東七十郎が兵部を憎んで暗殺を企てて発覚、この牢に収容され米ケ袋の刑場で処刑された)【安芸派】 (4)放送大学宮城学習センター付近…田村左京邸跡(忠宗三男・岩沼三万石の大名・亀千代の後見役)【安芸派】 (5)片平丁小学校付近…飯坂出雲邸跡(三千石・養子仲次郎は原田甲斐の次男で騒動後、切腹に処せられ家禄没収)【兵部派】 (6)仙台高等裁判所…原田甲斐邸跡(国老・船岡四千三百石・寛文11年3月27日江戸大老酒井邸で伊達安芸を刺殺、自らも成敗され家名断絶)【兵部派】 (7)消防局片平出張所付近…奥山大学邸跡(国老・吉岡六千石・伊達兵部に対抗した硬骨漢。このため家老職を罷免)【安芸派】 (8)仙台大神宮…茂庭周防(もにわ・すおう)邸跡(志田郡松山一万三千石・妹は原田甲斐の長男・帯刀(たてわき)の妻、騒動後帯刀は切腹、二人の男の子は刺殺、妻と長女は松山に預けられる)【兵部派】 (9)仙台家庭裁判所付近…三沢信濃(みさわ・しなの)邸跡(岩手・前沢三千石・芝居の政岡で知られる綱村生母・三沢初子の弟。騒動後、初子の功により一門に昇格)【安芸派】 (10)大町交番付近…片倉小十郎邸跡(首席国老・白石一万八千石・原田甲斐が江戸酒井邸で伊達安芸を刺殺した、その第一報が入ったところ)【安芸派】 (11)市立図書館北隣り…伊達安芸邸跡(忠臣・涌谷二万三千石・酒井邸の公判直後、原田甲斐ために殺害される)【安芸派】 (12)支倉学園付近…伊達兵部邸跡 (一ノ関三万石の大名・伊達騒動の元凶といわれる人物。騒動後改易され土佐の高知に流されて同地で死んだ)【兵部派】 以上の如くで、旧街区の片平丁には伊達騒動関係の重臣邸宅・遺跡が数多く残っている。 |
| 仙台市 柴 修也 |
《参考文献》 |
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