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片平たてもの通信 第3號 |
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【 片平たてもの物語 《3》 】 |
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―放送大学 宮城学習センター― |
片平丁小学校の南側、東北大学片平キャンパスの最北端に、レンガ色の特徴のある円形の外壁を持った建物を木の間越しに覗くことができる。現在は放送大学の校舎として使用されているが、かつては東北帝国大学理学部生物学教室として使われていた建物である。 大正11年、第1次大戦後の好況で拡充を続けていた片平キャンパスにおいて、弾正横丁の北、かつての監獄跡に、理学部は地質学教室と生物学教室を起工し、翌年完成させた。この2棟は東北大学では初めての、また仙台市において最も初期の鉄筋コンクリート構造の建物であった。そして、その外壁には隣接して建っていた、いずれも堂々たるレンガ造りの物理学・化学教室と鉄鋼研究所(両者とも惜しくも戦後解体された)との調和を配慮してか、レンガが貼られた。それもあって、この一画は昭和30年代のなかばまで落ち着いた大学らしい雰囲気が保たれていた。 ところで、生物学教室が開講した大正12年当時は、鉄鋼研究所の2階に本多光太郎博士の部屋があり、時折玄関前で植込みの草花を眺める姿が見られたという。また、物理学・化学教室の2階の廊下を通った時、部屋の中からピアノの音が聞こえてきたのでドアを見上げると「石原 純」(たてもの通信2号の「東北大学よもやま話」参照)の名刺が貼られていたというエピソードも伝えられている。 こうした、クラシカルな外観を持った生物学教室の建物だが、円形教室2階上部の丸い円盤の両側に房が垂れ下がったような奇妙な形の装飾や玄関回りの縁飾りなどに、19世紀末のウイーンで始まり大正期に日本でも流行した、歴史的な建築様式からの分離をめざしたセセッションの影響がうかがえる。 また、内部においては梁の端部が大きく下に張出した初期の鉄筋コンクリート構造の特徴を見ることができる。 現在、建物の東側に生物学教室の建設と併行して造られた実験園の名残の庭園が整備されている。その片隅で、生物学教室の発足にあわせてウイーン大学から招かれたモーリッシュ博士の植えた5本のうち2本の杉が、70年以上にわたる歴史を静かに語り続けている。
たてもの通信編集部 佐藤智之
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《データ》 放送大学 宮城学習センター =東北帝国大学理学部生物学教室 大正12年竣工 設計者 不祥 構造 鉄筋コンクリート造 半地下1階、地上2階 《参考文献》 「東北大学理学部 生物学教室50年史」 昭和55年刊 |
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(補足説明) 「片平たてもの通信」第1号添付のマップでは生物学教室(「生物・動物学教室」ではなく「生物学教室」が正しい)の竣工年は、大正13年となっている。(全国の近代建築の戸籍簿ともいえる「日本近代建築総覧」(新版 昭和58年刊)の記載も大正13年である) しかし、「東北大学理学部 生物学教室50年史」では、生物学科創設時の新入生、川本信之氏の随想(108頁)に「(大正12年)4月26日午前9時、生物学教室の半円形教室で合格者10名の新入生に対し入学式が行われた」と記されている。また、「東北大学50年史(上)」(昭和35年刊)にも、「大正12年頁)とある。 おそらく、翌年に教室と実験室の追加部分が建設されているので、その部分も含めて大正13年といわれていたのであろう。(現在残されている建物部分が半地下構造であることを考えると、一部が大正12年に竣工して、残りの部分が翌年増築されたとは考えにくい) |
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